漫画家にあこがれ…
川崎で生まれ、横浜で育ちました。よく多摩川の河川敷で遊んでいた小学校時代は、放送委員会でアナウンサー。高校時代は、「瞳のなかに星が輝き、瞳うるうる少女」のマンガにひかれ、漫画研究会を友人たちとつくりました。
父と母
「会社を一方的に解雇されたことがある」と父から聞きました。まじめな父がなぜ?――子ども心に疑問をもちました。戦後、アメリカ軍の占領時代にレッドパージによって、共産党員や組合活動家が勤めている会社をクビにしたのでした。差別と貧困はなくしたい、と正義感の強い少女でした。
母は戦時中、兄をみごもっているとき東京大空襲にあい、炎のなか、命からがら逃げまどいました。長崎の原爆で、大おじが「水を飲みたい…」と苦しみながら亡くなった話を聞かされ、戦争のおそろしさ、平和の大切さを知りました。
思いが重なって
父や母などの影響もあって、「戦争は絶対にいけない」「働く人が報われる社会にしたい」という思いが強くなりました。18才のときに知った日本共産党の歴史や姿が、私の思いそのものだったので、入党しました。学生時代のことです。
中学校教師に
大学時代、漫画家をめざそうか教師になろうか悩んだすえ、私立中学校の国語教諭を選びました。歳が近かったこともあり、思春期の女子生徒からは、悩みが相談しやすい、お姉さん的存在ではなかったかな?
エッ?警察が盗聴!
「空母は来るな」「核を持ち込むな」――20代、米軍基地の強化に反対して、横須賀の集会などによく出かけました。
神奈川県警による電話盗聴事件が発覚したのは86年。国民を守るべき警察の犯罪は許せませんでした。公金返還をもとめる住民訴訟の原告団にくわわりました。
カンガルーの会
出産・育児のよりどころだった県立母子保健センター廃止を県がうちだしたとき、存続をもとめて、父母のみなさんと「カンガルーの会」を結成。私も長男をおぶって県庁や当時の厚生省との交渉に行きました。いのちを生み出す尊さ、子育ての喜びと大変さを、2児の母として、しみじみ感じています。
国会議員に初当選!
98年に参議院神奈川選挙(定数3)で2位当選!文教・科学委員会に所属し、当選後はじめての国会質問で30人学級の実現をもとめて以来、13回、歴代5人の文部科学大臣の実現を迫ってきました。
国会の「国民生活・経済に関する」調査会にも入りましたが、他党の皆さんも、「そういったリアルな声は大事だ」と言ってくれ、次々私の案が通り、当時与党の自民党の議員が「どうして日本共産党のいうことばかり聞くんだ」とぼやいていたこともありました。子どもの医療費を国の制度として無料にするなど、子育て支援のための「国会決議」を超党派で提案し、実現することができました。
また、1999年11月の文教・科学委員会で、原子力潜水艦等の「事故が起こりえるということを前提として対策」をとることを要求するなど、原子力艦船の災害対策を一貫して求め続けました。
ゆずれないもの
平和と憲法を守るためには一歩もゆずれない。子どもたちやお年寄りの笑顔があふれる社会を――。その思いを胸に、これからも力強く歩んでいきたいと思います。
衆議院で当選!
何回かの国政選挙に立候補、2014年12月の総選挙で衆議院比例南関東ブロックより当選しました。